1970年代、市場を牽引する電子機器はカラーテレビでした。現代ではスマートフォンやタブレット端末がそれに当たるのではないでしょうか。当時のカラーテレビはブラウン管式で、初期の頃は米国のRCA社の技術で生産されていました。カラーテレビが大増産されていた時代で、作れば売れていきました。
そのため、カラーテレビの増産への対応で、東芝は、紙フェノール銅張積層板を生産する大型多段プレスを化学材料事業部があった川崎工場に1968年に導入しました。この銅張積層板を製造するために使用する成形用プレスは、1,220×2,040mmの製品サイズを成形でき、銅張積層板の定尺サイズは1,220×1,020mmでしたので、1回で2つの成形ができるものでした。銅を貼っていない重電用積層板の生産も行うため、150kg/cm2程の高圧で成形ができるように、加圧能力は4,300トンもあり、当時、日本で最大の銅張積層板多段プレスでした。
当時のカラーテレビには、比較的大きな紙フェノール銅張積層板を使った片面プリント配線板が使用されており、重い部品が搭載されていたことから板厚は1.6mmありました。当時、プリント配線板の板厚は1.6mmが標準で、それ以外の板厚は特殊なものだけでした。
定尺サイズの銅張積層板を使用した場合、テレビ用プリント配線板はサイズが大きいため9~12枚しか取れませんでした。つまりカラーテレビ1台に1/9~1/12㎡のプリント配線板が使用されました。これは、機器1台当たりのプリント配線板の使用量としては多い方に当たります。
テレビと同じように話題となった商品として『電卓』があります。多くのメーカーが参入したことで1960年代後半から『電卓戦争』が始まりました。当初、卓上に置かれていた『電子卓上計算機』、略して『電卓』は、その後、様々な技術確立によって、手の平に乗る程、小さくかつ軽量化されていきました。
1983年に発売されたカシオ製電卓『SL-800』は、W85×H54のクレジットカードサイズで、厚さ0.8mmと世界最薄、重量はわずか12gでした。この電卓は当時、『フィルムカード』電卓と言われてテレビ広告されていました。フィルムカード電卓の開発は、民生機器を限りなく薄く、軽く、小さくすることへの大きな礎となったといってもよいでしょう。
また、既成概念を打ち破り『クレジットカードサイズ』で、厚さ 0.8mmの電卓を作ろうという高い目標を掲げ、バックキャスティング思考で開発に取り組んで成功した事例でもあります。
なお、この製品は国立科学博物館 産業技術史資料情報センターが行なっている事業『重要科学技術史資料(未来技術遺産)』登録制度で2013年度に選定されました。
写真1 1983年発売のカシオ製クレジットカードサイズ電卓『SL-800』
電卓の小型薄型化の開発競争の影響を受けてか、1980年代は、電卓から進化した電子手帳、カードサイズラジオ、ページャ、時計、ヘッドホンステレオ、MDプレーヤ、ACアダプタ、デジタルカメラ、IC/SDカード、ハードディスクドライブなどの様々なエレクトロニクス商品に0.6㎜以下の薄物プリント配線板が使用されるようになりました。標準板厚 1.6mmを使用するのが当たり前の時代に風穴を開けたのが『軽薄短小』化製品の台頭でした。その応用例を板厚別に示しますと図1のようになります。
図1 薄物プリント配線板の応用例
民生機器では、コスト志向が高く、より安価な紙フェノール銅張積層板を使用したいのですが、機器の小型化で板厚が薄くなることによって、機械的強度が弱くなり、さらに耐湿性に劣り、実装特性も悪いことからガラスエポキシ銅張積層板が採用されるようになっていきました。ポータブル機器の登場は、産業機器にしか使用されていなかったガラスエポキシ銅張積層板を民生機器にも使用しなければならない状況とした大きな転換点であったと思います。